ミスター廃車マン

運営会社:廃車ドットコム

あなたの車をリサイクル資源として高価買取します。廃車の専門会社が50社集まった、廃車買取ネットワーク

廃車専門業者が直接買取。だから高く買取ります!!古いクルマ・水没車・事故車・ディーゼル車・壊れた車、ボロボロの車もどんどん買い取るぜ!

ホンダVTECの生い立ちと特徴

こんにちは!北大自動車部です。今回のテーマはホンダエンジン「VTEC」の生い立ちと特徴です。「ホンダVTEC」、みなさん一度はこの言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか?そんなみなさんはもちろん、また、聞いたことなんてないという方もこの機会にVTECについて知ってみてください。

VTEC搭載されている「TYPE-R」エンブレム
<VTEC搭載されている「TYPE-R」エンブレム>

VTEC開発の経緯

まず、VTECの始まりは1984年にさかのぼります。当初ホンダ研究員はNCE(New Concept Engine)計画のもと低回転と高回転の二つの領域でハイトルクを実現させること、リッター当たりの馬力を大幅に向上させることを目標にエンジン開発を試みました。その結果、最初に誕生したエンジンが「DOHCエンジン」や「SOHCセンタープラグエンジン」です。しかし低回転域でのトルクをあげると高回転時に問題が起きるなど、両領域でのバランスを保つことが困難でした。

そこで、さらに高性能なエンジンの開発を実現するにはバルブタイミングを変化させるしかないと考え、吸・排気側それぞれに低速用2つ、高速用1つのカム駒とロッカーアームを用い、両領域でカム山を切り替えることによってバルブのタイミングを変えるという方法を用いたのです。これは低速時と高速時に休止するバルブがあるため、燃費向上にもつながる優れものでした。しかし、そんな優れものでも馬力に関して物足りない部分がありました。当時のDOHCエンジンは1.6Lで130馬力、それに対して新たなエンジンは約140馬力とたった10馬力上がるだけでした。

そこで次に掲げた課題は「自然吸気によるリッター100馬力」のエンジンでした。馬力が上がれば回転数も上がり、その分エンジンに対する負荷もかかるので品質を保ちながらこのエンジンを開発することは大変困難なことでした。回転数はDOHCエンジンの6800回転から新たなエンジンは8000回転と20%上昇します。するとエンジンにかかる慣性力は40%になり、負荷も増大します。軽量化を行うと、品質的な問題も発生します。毎日、そして長い期間試行錯誤を繰り返してきたそうです。結果、部品の軽量化やバルブを拡げること、また様々な負荷に耐えられるような新素材を用いることでリッター100馬力のエンジンが完成しました。

エンジンはただ完成するだけでなく、顧客の信憑性を得るために何度も商品を確認したり幅広い車に対応できるよう柔軟性も確立しなければいけません。そうしてやっと世に出る完璧なVTEC(Variable Valve Timing & Lift Electronic Control System)エンジンが出来上がるのです。その名の通りVTECとは可変バルブタイミングリフト機構の名称です。

VTECのあるエンジンルーム
<VTECのあるエンジンルーム>

VTECの特徴

このVTECエンジンについてもう少し詳しくみてみましょう。VTECエンジンの特徴は、バルブタイミングとリフト量を可変できるということです。バルブとは、吸気や排気の際にガスの出入りを行う弁のことです。このバルブを動かす量をリフト量、バルブとピストンの作動タイミングをバルブタイミングと言います。

なぜバルブの可変が必要かというと、回転域によって求められるバルブの性能が異なっているからです。バルブを動かすのはロッカーアームと言い、カムシャフトを介して行います。低回転域で二つのロッカーアームを用い、高回転域ではその二つの間にあるロッカーアームと内部の油圧システムによって可変を行います。

低中回転域ではトルクが高い方が運転しやすいのでバルブリフト量は短く、早くバルブが閉じるように設計されています。エンジンの回転数が一定数まで上がると、高速のロッカーアームに変わります。この時、高速用のカムだけでなく他のカムも駆動しています。しかし高速用のカムの方が大きく作られているので、他のカムはバルブに影響を与えません。これがVTECの大きな特徴です。

DOHC VTECエンジン(B16A)
<DOHC VTECエンジン(B16A)>

VTECのメリット・デメリット

次にVTECのメリットと、デメリットについてです。まずメリットは、低回転でも高回転でもエンジンの性能が落ちないことです。従来では低回転域で力強いが最高出力にかけるか、もしくは最高出力は高いが低回転域ではしっかり走れないかのどちらかでありましたが、VTECはそれぞれの短所を埋めてくれました。

さらに可変バルブ機構によって燃費もよくなりました。また、VTECによって高回転域でのエンジンの性能が上昇したことにより回転数が上がりました。一般には最高で6500回転であったのにVTECによって最高8000回転まで上がりました。さらに、同時にリッター100馬力を実現したのでスポーツカーのような性能を持てるようになりました。2.0Lのエンジンでも、200馬力程度のパワーを出せるようになったのです。

性能ではないですが、エンジン音が独特であるというのも一つのメリットといえるかもしれません。低中速用のカムから高速用のカムに切り替わる時、低い音から甲高い音へと変化します。そのVTECサウンドは世界的にもファンが多く、とても良いものです。

次にデメリットです。エンジンがとても複雑になり、部品が増えたので重量が増えました。また、シリンダーヘッド周りの機構が増えるため重心が高くなり、FF車だと特にハンドリング操作に影響が出ます。

VTECのプラグケーブル 最近の車ではあまり見かけない「かぶり」。これは燃料に発火させる点火プラグの不具合が原因です。
<VTECのプラグケーブル>

VTEC搭載車

このVTECが、初めて搭載された車はなんでしょうか?それは1989年4月に発売された、2代目インテグラです。

VTEC搭載のホンダインテグラ タイプR
<VTEC搭載のホンダインテグラ タイプR>

思えば1984年のNCE計画から、わずか5年で販売まで至りました。ホンダの研究者たちが、諦めずにより良いエンジンを求めて試行錯誤した結果ですね。それからはNSX・CR-X・シビックなど、たくさんのホンダ車に搭載されていきました。どんな車種にも、対応できる柔軟なエンジンになったということですね。

VTEC搭載のホンダCR-X
<VTEC搭載のホンダCR-X>

色々な車が開発されて販売していく中で、VTECエンジン自体も進化していきました。6代目シビックでは3シリーズのVTECが搭載されましたし、2Lが当たり前だった5ナンバーハイトワゴンも1.5LのVTECターボを搭載する新型のステップワゴンが常識を覆しました。さらに新型シビックタイプRには2LのVTECターボが搭載され、最高出力310psに達しました。

また、スポーツタイプにだけVTECが搭載されている訳では無く、近年ではN-BOXなどの軽自動車にもi-VTECが採用されています。まさに、街乗りからサーキットまで幅広い用途が可能なエンジン機構と言えますね。

このようにホンダ車はVTEC誕生からものすごいスピードで進化していき、世界にも進出していきました。しかし、この目まぐるしい技術革新の中で約30年もの間VTECが存在し続けたことは本当に素晴らしいエンジンであったからです。

こんな万能なエンジンを開発したホンダという会社は、一体どのように成長していったのでしょうか。

ホンダの歴史

ホンダをつくった本田宗一郎は、幼い頃から自動車や飛行機に興味を抱いていました。高等小学校卒業後は自動車の修理工場に入社し、自動車修理の経験を積みました。その後独立が認められると、エンジン部品の「ピストンリング」の製造をしようと試みましたが学問的な理由でうまくできず、講義の聴講や研究を第一に専念しました。その結果ピストンリングの製造を開始することができたものの、太平洋戦争が始まり製造を続けることが困難になりました。

戦後1948年に本田宗一郎により、静岡県浜松市にホンダ(元は本田技研工業)が設立されました。初めは自転車用の補助エンジンを製造する会社でした。これは本田宗一郎が、遠くへ買い出しに行く妻のために作ったのが始まりです。とても優しい人ですね。この最初のエンジンは、A型エンジンと言います。それからは自転車用補助エンジンを大量に生産しました。

次なる進化は農業事業への拡大です。1953年に農機用のH型エンジンを初め、1959年には耕運機F150を販売しました。1954年にはマン島TTレースへ出場を宣言し、5年後に初挑戦しました。VTECエンジン開発の時もそうでしたが、チャレンジングスピリットが強く、あらゆる難題に挑戦していった彼の姿勢にはすごく尊敬させられます。そして1961年には、マン島TTレースで初優勝を成し遂げました。この時、ホンダのエンジン技術が世に知れ渡りました。マン島TTレースに挑戦している間も進化し続け、1958年にスーパーカブが大ヒットしました。私の父親が今でも乗っています。とても扱いやすいみたいです。

1959年には、アメリカに進出しました。1960年には、株式会社本田技術研究所を設立しました。マン島TTレースの影響もあってか、ベルギーで初の海外現地生産を始めました。ホンダ初の4輪車は1963年8月に販売されたT360という軽トラックです。初のスポーツカーは、S500でした。1964年には、RA271というマシンで初のF1に挑戦しました。その翌年には初優勝を果たしました。

1972年には、当時問題になっていた公害に対してCVCCエンジンで大幅な対策を測りました。カーナビシステムを世界で初めて販売したのもホンダでした。また、国内では初めてフランツシステムを搭載した車を実現させました。1986年には、小型航空機を航空用のエンジンとともに研究し始めました。そして1988年、F1史上初の16戦15勝という大記録を叩き出しました。この時期はF1黄金期と呼ばれています。

1990年代からエコカーにも取り組み始めました。2000年にはヒューマンロボットASIMOの販売、2002年には燃料電池自動車FCXを世界で初めてリース販売、生産量に関しても累計二輪車3億台、四輪車1億台を生み出しました。そして2015年には、本田宗一郎が幼い頃から興味を抱いてた航空機、小型ビジネスジェット機であるHondaJetのお客様への引き渡しが開始されました。

i-VTEC (K20A)
<i-VTEC (K20A)>

まとめ

VTECエンジンの開発にも見られるように、ホンダは創業当時から様々なことに挑戦し、常に時代の最先端を行き、日々開発や研究に勤しんでいます。こういった姿勢は、いつの時代にも大変重要なことですね。我々は、ホンダに生活の快適さを提供してもらっているだけでなく、人生において見習うべきことも提供してもらっているのかもしれません。

以上

執筆:国立大学北海道大学体育会自動車部

お車を買い取りし、更に面倒な手続きも全部代行致します!! 無料査定を依頼する

高価買取りには理由があります!!

初めての方もご自宅でらくらく!